口福の探求
鮨 登喜和
新発田市/寿司
鮨から受けた衝撃で
進む道を定めた20代後半
2020年、権威あるグルメガイドに評価された、城下町・新発田の老舗鮨店である。創業は1954年で、早逝した初代に代わり、長い間、2代目の小林登三男が切り盛りしてきた。
その父の背を見て育ったのが、3代目の小林宏輔。「アジやイカを下ろしたり、卵焼きを焼いたり」と、子どもの頃から厨房に入り、仕込みを手伝ってきた強者だ。
高卒後は音楽で生きる夢を追い、東京で暮らした。紆余曲折あって27歳で別の道をと考えた時、「やはり食べ物商売がしたい」と鮨店へ修業に入る。「兄弟子が握った浜田港(島根)のアジを食べた時、死ぬほど旨くて衝撃が走った。これほど感動できるものかと、俄然、鮨に興味が湧きました」
腕磨きに東奔西走し、つかんだ独自性
帰郷したのは30歳手前。父と並んで鮨を握るようになったが、自分の腕に納得がいかない。悔しさから本を読み漁り、全国の鮨店を食べ歩いて研究を重ねた。「思い描く鮨が握れるようになったのは、ごく最近」と笑う。
父の鮨はシャリが大きく、「説得力のある美味さ」と小林。翻って自分の鮨は「口に入れた瞬間、幸せになる鮨でありたい」。ネタは土地の独自性を活かし、新潟の魚に絞る。酢や昆布締め、蒸しなどの仕事を施して、旨みを引き出す。父がいち早く提供してきた「のどぐろの炙り」は、新たに「のどぐろの塩茹で」として定番化。胡桃の飴煮と茹で栗を刻んだ「登喜和のいなり」も、創業以来の味として県内外のファンを沸かせている。
「味や室礼、文化的創造性も含め、唯一無二の店づくりが理想」という小林。2017年には店舗内装をリニューアルし、カウンターを2つ設えた。父と息子、それぞれが離れた場で鮨を握りながら、味と伝統は確かにつながっている。
店主小林 宏輔
1979年、新発田市生まれ。高校を卒業後、服部栄養専門学校で調理の基礎を学ぶ。27歳で下北沢「すし屋 魚真」に入店、修業。29歳で家業に就き「鮨 登喜和」3代目となる。新潟で活動中のシェフチーム「ll Laboratorio Di Cucina Niigata」(イル ラボラトリオ ディ クチーナ ニイガタ)や「厨クラブ」の一員として、日々研鑽に励む。イチゼンでは家庭の食卓へ、精一杯の職人愛を注ぐ。
1979年、新発田市生まれ。高校を卒業後、服部栄養専門学校で調理の基礎を学ぶ。27歳で下北沢「すし屋 魚真」に入店、修業。29歳で家業に就き「鮨 登喜和」3代目となる。新潟で活動中のシェフチーム「ll Laboratorio Di Cucina Niigata」(イル ラボラトリオ ディ クチーナ ニイガタ)や「厨クラブ」の一員として、日々研鑽に励む。イチゼンでは家庭の食卓へ、精一杯の職人愛を注ぐ。